学校教育って何だ?

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保育制度が大きく変わろうとしています。幼保一元(一体)化のプロセスにおいて、幼稚園、保育園の他にすでに認定こども園が出来ています。このこども園がいろんなタイプ(幼稚園型・保育所型・幼保連携型) に分かれて、当面一元化というより多元化になりそうな状況です。来年(2015年)度からは、いよいよ幼保連携型認定こども園がスタートします。親御さんにとってみれば、園に入りやすい、適した園を選べるといったメリットはあるものの、その違いがイマイチ掴めないで、結果的には迷う事も多いかもしれません。私は四半世紀の間いろいろな園と関わり、いろんな保育形態を見てきました。そんな私の立場から幼保一元化に向かいつつある今、読者の皆さんに向けて言える事が何かあるかもしれないと思い、ペンを取りました。

まず最初に言っておきたい事は、幼稚園は教育を施し、保育園は子守りだけしている、といった認識が世間一般にあるようですが、これは全く根拠のない誤解だという事です。保育園と幼稚園はどう違うのか?大きく見て、保育の内容に関して言えば、私は違いはないと思っています。内容とは主に養護と教育を指します。ここで、いたずらに保育園の肩を持つつもりはありませんが、世界の水準に照らしてみても、素晴らしい保育をしている保育園を私は数多く知っています。でも、残念な保育をしている保育園もある(意外に多い)、これが実状です。では幼稚園の方はどうかと言えば、同様に素晴らしい幼稚園があれば残念な幼稚園(意外に多い)もある。つまりそういう意味で両者に違いはなく、先に述べた幼稚園=教育、保育園=子守りみたいな認識は誤解だと言わざるを得ない訳です。

さて、次に言いたい事は保育園と幼稚園に大きな差はないと書きましたが、保育形態(保育方針・方法論)については個々の園で、ものすごい違いがあるって事です。日本には実は様々な保育形態があるのです。

一例を挙げてみても、シュタイナー教育、モンテッソリー教育、レッジョエミリア等々、名前のついた保育があります。0歳からフラッシュカードをやるような超のつく早期教育があれば、泥んこ保育なんてのもある。他にも見守る保育とか、横峯式やら七田式やらと、バラエティー豊かと言えば聞こえが良いけど、正直勝手な事やり過ぎとも思えます。指針、要領は法律なのですが、中には明らかにそれは法律違反だろ?と思える園さえ無くはない。そこが日本の保育の残念なところだと私は思います。

さてここで、どうしても書いておきたい事があります。それは、「教育」とは何か?という課題です。もっと言うと幼児期(3歳~6歳)の「学校教育」とは何か?という課題ですね。なぜ今この時期にこのテーマを?と問われれば、内閣府によれば、認定こども園(幼稚園型、幼保連携型)と幼稚園は「学校教育を行う場」として位置付けされた施設だからなのです。


え~とぉ、読者の皆様にお尋ねしますけどぉ、学校教育と聞いて何を思い浮かべますか?言葉の持つイメージです。イコール勉強を思い浮かべた人が大半ではないでしょうか?つまり、ひらがなを教えたり、足し算やドレミファ・・・みたいな事を教えるのが学校教育だと、一般的には思われがちだと、私は思うんだけど・・・。如何かしら?

そのイメージを「学校教育をするのがこども園、しないのが保育園」(静岡市が私立保育園に配布した資料より)という文章に当てはめて考えてみて下さい。国語や算数といった勉強をする場がこども園で、何もせず、ただ子守りだけする場が保育園てな印象になりませんか? まず学校教育という言葉の持つイメージを、前述の、イコール勉強みたいに考える事をやめないと話が進みません。とりあえずここで、私相沢がハッキリ言っておきます。断言します!幼児期の教育が、勉強つまり国語、算数、理科、社会であると認識する事は間違いです。

では学校教育とは何か?内閣府の資料には「ここで言う『学校教育』とは、現行の学校教育法に位置付けられる小学校就学前の3歳児以上の子どもを対象とする教育」であると。また教育・保育要領には、「環境を通して行う」とちゃんと書かれております。勉強とか国語とか算数とかは、一言も書かれてはないのですよ。

環境を整えて、子どもが主体の遊びを大切にしている園を、私は数多く知っております。私が仕事で関わる園の大半は、遊びを大切にする園なのですが、世間的な園全体からすると少数派です。残念!で、こうした園で夢中になって遊んでいる子ども達を見るにつけ、大袈裟でなくこれこそ「教育」なのだと、私は思います。

ごっこ遊び一つ取っても、友達とのコミュニケーションをはかり、異文化を受け入れ、多様な言葉を獲得しています。ごっこ遊びは、自分以外の誰かになる遊びですから、他人の立場になる練習です。思いやりや優しさは、こうしたシミュレーションから育まれるとも言えます。「教育」以外の何物でもないと思いませんか?

小学校教育にスムーズに接続する為の前段階の教育が、幼児期の「学校教育」だと私は解釈しています。例えば平仮名を教わるのが小学校なら、その前段階では何をしましょう?まず、子どもに本を好きになってもらう事。本好きな子は、文字にも自然に興味がわく事でしょう?従って優れた絵本をたくさん読んでもらう事だって、立派な「教育」なのです。友達とカードゲームをして遊んでいる子は、「ルールを守るって楽しいな」という体験を積んでいるのです。その後の人生で出会う、校則や法律、マナー、モラルといった様々なルールを、守って楽しい物として体験しているんです。これだって「教育」でしょ?おまけに、カードゲームに勝つ力は、集中力、記憶力、観察力といった学習能力なのです。子ども達は自由に遊んでいるつもりでも、必ず保育者の意図がある訳です。

幼児期に遊びを通して、つまり興味や関心からスタートして、意欲や社会性他、様々な能力を育てようという考え方は、幼児教育の父フリードリヒ・フレーベルの時代から脈々と続く王道だし、世界基準なのです。

(コプタ通信2014年10月号より、相沢康夫)